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作画の合間に(片桐三晴)

本サイトのために絵を描いてくださった片桐三晴画伯から寄せられたメッセージです。

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 時は2月。雪に埋もれた札幌は、白と黒のグラデーションの街と化しています。郊外の我家の庭は、積もるがままの雪の白さに、凄みと重さが増してきました。昼下がりの物憂げな白い光景をベランダ越しに眺めながら、依頼のあった「成熟社会」をめぐる絵の確認作業。
 この度ご縁があって、YNU成熟社会コンソーシアムのHP用イラストを担当させていただきました。提示されたテーマは「成熟社会の姿を描く」。変遷している社会の諸々の変化、気づき、対策などを、各分野の専門家が考え、提案していくというHPです。
 「成熟」は、普段は何気なく使っている言葉だけに、改めて噛み締めると〝へっ?〟となったのが正直な気持ち。「成長社会から成熟社会へ」の過程を描けばいいのかしら。どうしよう。。しかし、脳内イメージという無形のモノを、形あり目に見えるものにするのは表現者の得意分野です。

 そのきっかけは、週2回で通うジムのBGMでした。中島みゆきの『糸』(あなたと私を縦糸、横糸に例えた名歌)が流れると、一瞬のヒラメキがビビビと!
 人が生きる事を横糸にしたら、縦糸は何だろう?脳裏をXYの二次元関数がよぎりました。まてまて、、0歳から老衰の100歳までの自然の成長を横軸にしたら、成長の過程で学んで身につく人間性や他力的なモノが縦軸だろうか。両糸が紡ぐのは平たい織物だけど、そこに奥行きが加わったらより大きなモノが包めるはず。袋のマチ部分が連想できます。
 近年、人は生きるだけが目的ではなく、いかに豊かで満足いく人生だったかを、個人レベルで考えるようになりました。 つまり、成熟という名の奥行き=知恵であり生き甲斐、許容力、寛容な心なとが成長と共に有れば、人生の豊かさは膨らむ事でしょう。ここに至って、私の中で混沌としていた成長と成熟の関係が、ストンと腑に落ちたのでした。

 調べてみると、成長には頭の回転の速さが重要で、成熟には頭の柔らかさが求められるそうだし、多様な解を自己責任の元で求めていくのが成熟社会というようです。
 しかし、社会が個々人の成熟を手伝ってくれるわけではなく、気づいた私たち自身が、自らの成熟を意識して奥行き路線に乗車しなければならない。まさに「試すのも、試されるのも、ワタシ」状態で、私の指は自分に向かって容赦なく問うてきます。「お前は成長に相応しい成熟をしているのか⁈」と。
 ううう、、今の私には酷な質問です。

 ところで、成長と成熟は相反するものではなく、同じ路線にあるモノです。このイメージには表と裏の世界ではなく、反対方向に行けば必ず相手に出会う、という「メビウスの輪」が相応しく思い、HPのメインモチーフにしてみました。
 成長と成熟の命は、くり返しの永遠です。絵の中でメビウスの輪を支えているのは多様な人々。その人々を徐々に抽象化、記号化していくことで、成長から成熟への変化を表現しました。
 同じく、活動報告やメンバー紹介のイラストも、社会は人と人がかかわり合って成り立っているという視点から、人を更に図形化し、リズミカルな線とからませてみました。その中から見える人の姿を探してお楽しみいただければ嬉しいです。
 表と裏の区別がない、ということは、成長から成熟が生まれ、そこからまた新しい成長が生じら、ということ。人の一生は100年足らずですが、成長と成熟の命は繰り返しの永遠で、それを歴史とも言うのでしょうか。

片桐三晴
以下のリンクより絵をご覧いただけます。 
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